2025年1月6日、愛猫・ミケが天国にいってしまいました。
7歳と5ヶ月。
鼻腔内腫瘍と診断されてから2ヶ月とちょっとでした。
ミケと一緒に暮らし始めて7年以上。
想像もできなかったミケの居ない日々が始まって、そしてどんどん過ぎていって。
元気に過ごせる時もあれば、どうしようもなく辛い時もあって、まだまだミケの居ない日々に馴れるのは難しそうです。
記憶が色褪せていく前に、覚えていることを私自身のため残していきたいと思います。
2024年10月初旬。
夏が終わり少し肌寒くなったころ、鼻詰まり?で呼吸音がしていて、風邪かと思いかかりつけの動物病院に。
先生からも風邪だろう、と。猫の鼻詰まりはがんの可能性もあるけれど、この子はまだ若いし...。
と、がんの可能性をチラッと話されたことは今でも覚えているけれど、先生もこの時はがんだと思っていなかったと思うし、私もただの風邪だと思って、普通に風邪治療薬を処方してもらい、1週間様子を見て、それでも症状がよくならないので、翌週も通院し、再度風邪薬をもらい様子見。
10月17日。
朝ごはんを食べている時に、鼻血。
しかもポタポタとどんどん血が溢れてきて、これはただ事ではないと、急いで病院に。
かかりつけの動物病院が定休日だったので、近くの別の病院に。
止血剤投与と点眼と点鼻の応急処置をしてもらい、鼻血も止まり帰宅。
10月18日。
翌日、かかりつけの病院に行き昨日のことを共有。
この頃からがんの疑いが強まる。
2週間前くらいはただの風邪だと思っていたのに、まさかがんだなんて夢にも思っていなかったし、8月にミケが7歳になってシニア猫の仲間入りをした時、勝手に14歳くらいまで生きるもんだと思っていたから、それでもあと7年だなんて信じられないし、もっと一緒に居たいなと思っていたことを覚えています。
犬や猫との時間は本当に短く、それをわかっていてももっとこうしていたらよかったとか、24年は年始に私が転職したこともあり、ミケそして王騎との時間をちゃんと取れていなかったから、余計に後悔することが多かった。
10月末。
この頃は食欲が減り、大好きだったウェットフードも残すようになり、わかりやすく体調の悪さを感じるように。
いろんなウェットフードを買って、あげてみても全然食べてくれなくて、大変なのはミケだとわかっているけれど、がんのこともありメンタルにはかなりきていた。
11月2日。
がんを調べるために、かかりつけの病院の紹介でCTが撮れる用賀の動物病院に。
ミケの場合、鼻詰まりの症状だったのでがんの場合は鼻の中。
そして、猫のCTは全身麻酔をしないとできないので、人間のCTと違って1つ検査をするにも負担が大きい。
麻酔もあるので、お昼前に病院に行って、お迎えは5時過ぎ。長丁場。
5時過ぎにお迎えに行って、出された答えは鼻腔内腫瘍疑い。
とは言ってもほぼ確定。
それからかかりつけの動物病院に移動し、今後の治療について話すことに。
リンパ系のものだそうで、抗がん剤治療をしなければ早くて余命は早く1-2ヶ月、年内だと言われた。
正直、この頃はがんだと思いつつも、確定されるまでは、がんじゃないかもしれないと希望があったけど、もうがんが確定されたようなものだし、しかも1-2ヶ月だと言われて、本当に悲しくて辛くてしょうがなかった。
ただ、先生からは今まで診てきた中で、一番進行が進んでいないし、抗がん剤治療も効く可能性があるからするんだと言われて、少し希望が持てた。
そして1回目の抗がん剤を投薬。幸い副反応もなかった。
この日から週1回の抗がん剤治療を開始。
金銭面でも正直、大変だった。
CT等の検査で10万円、かかりつけの病院でも5万円。この日一日だけで15万円。
これまで大きな病気もなく、ペット保険にも入っていなかったので、全額負担。
自業自得なのだが、先月の時点で6万円ほどの治療費がかかっていたので、金銭面もどうしようかと悩んでいた。
11月3日。
抗がん剤投薬の翌日。
これまでの体調不良が嘘のように、鼻詰まりもよくなって、食事量もしっかり摂れるようになって、すごく安心した。
考えてみれば、猫は鼻呼吸だけ。鼻が詰まっているのにご飯なんて食べられるわけもなく。人間は口呼吸もできるけど、鼻が詰まっているだけで辛いし、その状態でご飯を食べるなんて本当にできないよね、、、と。
ミケの鼻詰まりは、想像もできないくらいに本当に大変で辛かったと思う。
翌日、ミケが冷蔵庫に飛び乗って。考えたら体調を崩してから乗っていなかった、というよりもできなくなっていたことが、またできるようになって本当に嬉しかった。
抗がん剤治療の経過は良好で11月は本当に元気に過ごしてくれた。
11月は仕事が佳境なこともあり、ミケが元気になことで本当に救われた。
この7年間、ミケに救われてばかりだった。
12月16日。
先週あたりから鼻詰まりが再発。
ご飯をほぼ食べ(られ)なくなり、週1回の抗がん剤の通院まで数日あったけれど、病院へ。
正直先週のタイミングで寛解だと言われたばかり。
がん進行による鼻詰まりか、それとも免疫低下による風邪なのかわからないけど、これががんなんだと思い知らされた。
食欲増強剤のおかげか通院した後の夜ご飯は1食分とまではいかなかったけど、ここ数日の中では一番食べてくれた。
12月23日。
1日に少し食べてくれるかどうか。
週1の抗がん剤とは別途、投薬もしていたけど、賢いミケはだんだん薬のかわし方を覚えてきて、与えるのが困難になってきた。
12月27,28,29日。
鼻詰まりに加え、鼻水も出て来るように。
ご飯も全く食べられない。水も全然飲まない。
かかりつけの病院に3日間連続で通って皮下点滴と強制給餌。
かかりつけは年内は29日が最終営業日。ギリギリまで対応してもらった。
12月31,1月2日。
家の近くでやっている病院に電話し、それぞれ別の病院に通院。
ここでも皮下点滴と強制給餌をしてもらった。
1月4日。
かかりつけの病院の営業開始で、通院。
先生にもう長くないと言われた。
半月前には寛解だと言われていたし、ご飯は食べなかったけど、まだ元気だったし、あとはお別れを考えたくなかったから、まだ大丈夫だと思っていた。
今思えば、ご飯も食べられないし、水も飲めないのに生き続けられるわけがないのに、その時は本当に長くないと言われて、月内ですかと聞くくらいに、もう少し先だと本気で思っていた。
いつも服を着せていたから気づかなかったけど、12月頭ごろには3.8kgまで増えた体重がこの頃には2.8kgまで落ちて、背骨やお尻あたりの骨まで浮き出ていて。しかも、洋服はブカブカだった。
がんがわかった時に覚悟はしていたつもりだったけれど、辛かった。
いつも寝る時はミケと一緒に布団に入って、朝起きたら布団から抜け出して、腰あたりに寝ていることが多かったのだけれど、朝まで腕の中に居てくれていた。
夜、ベッドから降りてトイレに行った。本当にえらい。
寝る時、このままミケが死んでしまうんじゃないかととても怖かった。
1月5日。
この日は天気が良くて、自分でベッドに飛び乗って日向ぼっこしていた。
本当にミケは日向ぼっこが大好きだった。暑い夏の日も日光に当たって気持ちよさそうに寝ていた。
夜。口呼吸になり、もう本当に時間がないんだと思った。
寝る時に位置を何度も変えていた。
私の手に顔を置いたりもいていた。
今考えると、ミケはもう自分がもうすぐ動けなくなるのがわかっていたのが、自分が楽な姿勢を探していたのかもしれない。
1月6日。
朝起きると私の腰あたりのところ、布団の上。ゼーゼーと口呼吸をしているけど、目は開いたまま、体はもう動かなくなっていた。
前日の朝までミケと呼ぶと掠れた声でニャーと返事して、返事をしなくても尻尾で反応してくれてたけど、尻尾でも全く反応しなくなっていた。
さすがに私も今日なんだと嫌でもわかって、苦しそうに呼吸をしているのは見るのも辛かった。
12時32分ごろ、バタバタと暴れるように痙攣して旅立っていった。
年末年始の休みもあって、最後はずっと一緒に居ることができて本当によかった。
できる限りのことはできたと思う。
それでも後悔することは多くて。生きていないとしてあげられることがない。
1月8日。
お寺のペット葬儀屋でミケのお葬式。
納骨までしっかりしてきて。
骨になったミケは、本当に小さかった。
こんなに小さな体で本当によく頑張ったなと。
小さな骨壷にほぼ全ての骨が収まった。
お葬式をしたことでちょっと気持ちが軽くなった。
自分がミケにできることは全て終わったんだとひとつ区切りがついたのかもしれない。
遺体でも家にミケがいることでまだ一緒に居られると思っていたけど、骨壷に入って、一緒に家に戻ってきたことで、ちょっと気が安らいだ気がする。
今まで数回程度しか葬式に出たことはなかったけれど、死を受け止めることとして、最後に自分ができることとして、して良かったと思う。
そして、弟猫の王騎。
彼も彼なりに異変に気づいていて。
彼は我が家にやってきてから、ほぼ片時も離れることなくミケと四六時中一緒に過ごしていたので、一番の変化は私以上に彼が体感しているのかもしれない。
ミケが天国にいってすぐの時は、トイレに行ったりするだけでニャーニャーと鳴いて。
今は少し落ち着いたけど、やっぱり1人で家に居るのはとても寂しいと思う。
それとミケは先住猫だからと、いろいろ優先することが多くて、王騎はこれまでがまんしていた、させていたことも多くてそれはすごく反省していて、これからはたっぷり甘やかしたいと思う。
ミケはシャム猫で短毛で寒がりだからと、ミケ用のホットカーペットを用意していたけど、ミケがいなくなってから、王騎がホットカーペットを使うようになって、長毛で暑がりな彼でも冬の寒い時は使いたかったんだなと、この5年勝手に決めつけて。
王騎は生きているからまだまだしてあげられることがある。
これからでも、彼のために、彼のためだけにたくさんのことをしてあげられるように生きていきたい。